昭和44年9月19日 朝の御理解
御理解第35節 「信心は日々の改まりが第一じゃ。毎日元日の心で暮らし、日が暮れ たら大晦日と思い、世があけたら元日と思うて日々うれしゅう暮ら せば家内に不和はない」
家内に不和はないという事は心に不和がないという事であるね。心に不和のない心が穏やかである、豊かにあるという事は元日の心で暮らせと。又は日が暮れたら大晦日と思うてとこう仰せられる。ね。昨日、朝から頂いております御理解に、大晦日と思いという事、ね、いわゆる幕切れですね、幕切れを大切にせなんという事。そこから必ず、翌朝ですかね、明くる朝のありがたい、目覚ましとかいわゆる元日の心で暮らせと仰る元日の心で目覚ましのおかげを頂く事が出来る。為にはその、1日の内の幕切れを大切にしなければならない。家内に不和はないと、そういう日々を元日と思うたり大晦日と思うたりしていくところに、思うて、日々嬉しゅう暮らせばと、嬉しゅう暮らせばという事は自分の心の中に、不和があっては嬉しゅう暮らせません。
そこで、一つ元日のような心持ちにならせてもらおうとまず日々を元日のような気持ちで朝目が覚めたら、若水を汲んでそして洗顔をさせてもらうと。そういう心持ちを頂く事には、家族の者が、朝の食事を例えばさせて頂く時にも皆の顔を、が揃うた時に開けましておめでとうと、開けましておめでとうございますといわれるような雰囲気を作らせて頂こうと。ね。それには私共が前の晩のいわゆる大晦日の夜のようにあれも片付いたこれも済んだと、ね、それはもう十二時を過ぎて一時になっても二時になってもやはり、明日の朝の元旦のことを思うたら掃除がしていなかったら掃除もしとかなければならない。準備万端整えて休ませてもろうて明日の元旦を待たせて頂くような心がけが大事だとこういうのである。しかもそれが日々、ここんところへその心がけさせて頂くと、成る程そういうような心がけでおったら、家内に不和が無いという事になるだろう。
けれどもこの日々嬉しゅうということはね、日々この嬉しゅう暮らせばというところ。この35節というところはこのようにみやすう、丁度、元日のつもりでおりゃあいいなと、大晦日のつもりでおればいいなと、言うておるだけで実際は中々出来ません。見易いようで難しい。その証拠に家内に不和はないとか、嬉しゅう暮らせばという嬉しゅうなからなければ、いうなら、円満でもないと言うことになる。ね。そこでその、信心は日々の改まりが第一じゃと仰る、日々の改まりが第一というところにこれは大きく焦点をおかなければならん。日々の改まりが第一じゃと。もう何年信心しておるけれども、自分がどれほど変わったであろう。変わり映えの無い自分、第一であると言われるのにそのそれを第一と心得ていない。改まるという事。ね。それが第一元日の心で暮らすことも出来なければ大晦日と思うてといったような日々嬉しゅうという事にもなってこない。信心は日々の改まりが第一とこう仰るのですから、ここのところを一つ一心をたてさせてもろうてですね、願う事にも一心なら、おかげを頂きたいと思う心が一心なら、改まろうという事にも一心になれとこう仰っておられる。ですから問題はね、この改まろうというところにただただ一心になっておれば、元日の心も大晦日の心も日々嬉しゅうというところも家庭に不和が無いと言うことにも、これは、そう力まずに出来るじゃないかとこう思います。この第一なりと仰る改まりというものをおいて、例えば元日のつもりで、元日のつもりで勤めたところでですね、それが本当なものに、なってこないて。
大晦日と思うとか元日とか思うという、それはどういう事かというと私は金光様の御信者であるという思いという事だと思うのですよ。金光様の信心を頂いておる者と思えという事だと思うのですよ。そんなら金光様の信心はどうあらなければならないかと言うことになるんですよ。ね。それはおかげを頂きましてね段々信心がおかげを受けてありがたくなって教えを頂いてありがたくなって、いわゆる、ことの通りがわかり、信心生活させて頂くという事がです、段々ありがたいと言うことが分ってくる。神様を思う思いが非常に強くなってくる。ね。金光大神を思う思いが非常に強くなってくる。親先生のことを思い願うことが非常に強くなってくると。だんだん信心が進んでまいりますとそういう事になってまいりますよね。それでもその、それでも本当のおかげになっていかないのです。それだけでは。私先日、久留米の昔の( ? )井筒屋の観劇の会でございましてお芝居にやらせて頂いたのです。中々お芝居が良かったですが、中に、忠臣蔵のまああれは続編と忠臣蔵の中に加えられて、その、やられます中に(かくがわほんぞう、下屋敷の段?)というのがあります。それをあの見せて頂いた。みなさんもご承知だろうと思いますけれどもあの筋はね。(?)のがあの、いわゆる、幸助之助ですね、に、大変憎まれてそしてもういよいよその、もう、腹に据えかねてその、幸助之助を切ろうと決心するわけです。それを家老である(かくがわほんぞうが?)悟って、何故幸助之助が(あかぞの助?)をいじめるかと、その元がどうもその、いわゆる(?)していないからだときずいて、その、(?)をするわけです。それで、もう明くる日その、本気で切ろうという気になったところが今度は幸助之助のほうが、帰って機嫌を取るような事をするもんだから、刀を抜こうも抜けん、切るにも切れん。何とはなしにその、煮え切らないわけですね。その後にあの、( はんだん?)がやってくるわけですね。いわゆる、(あさのたくみのかみ?)がやってくわけです。結局(はんだん?)が幸助之助を切ることになるわけですね、( ? )なるわけです。切りつけることにいわゆる、殿中で刀を抜く事になるわけです。ね。その時にたまたまその(ほんぞう?)がそこにい合わせますから、その刀を抜いたすぐ後ろから抱きとめます。あれが(かくがわ)歌舞伎で言う(かくがわほんぞう?)ですね。
それはその後で( わかぞのすけ? )が( 家老のほんぞう? )が、賄賂を贈ったと。幸助之助にという事が分りますから、もうその、若気のなんて言うですかね、まあ一徹からです、まあ自分に恥をかかせたというて怒るわけです。( わかぞのすけ?)が、そして、(ほんぞう)を手打ちにするという事にまでなってくるわけです。けれども、時間が経つにしたがって、段々考えてみれば考えて見るほどにその、自分を一心に思い、自分に忠義一途の思いがそういう幸助之助への賄賂になったり、した事を思うと、やはり(ほんぞう)の本心を思うと、本当のこの家老がおったから実は自分が助かったんだと。けれどもいったん自分に恥をかかせた家老として手打ちにするというた手前ですね、その、手打ちにしなければならないというようなところがその芝居の筋なんです。
ね。それでその( かくがわほんぞう? )切るという事にまあ自分が自らその切るとそして、実は切らずに縄を切って解いてやります。それで、袈裟と( ? )衣装を送っておとしてやるところがお芝居。そしてその次にはあの、もう知っているわですよね。いわゆるあの、大石まあ倉之助ですね、( おおぼじうらのすけ? )に切られて死ぬる覚悟であることは分っております。けれども自分が殺したのでは、相手に対して相済まんことになるからそこをおとしてやってそして、実は( ? )殺されるわけですけれども、わざわざ殺されるわけですけれども、本当にその心中を思います時に国の、家のことを思い主人のことを思い忠義一途にだから主従の関係というものは実にその密接な何とも言えんあの芝居で見るあの、盛りあがりでてくるその主従のまあ、愛情ですかね、そういうものが出てくるわけですけれども、主人もそのおとしてやらなければならない、( ? )も死んでしまわなければならないという、( ? )結果になってくるわけです。ですから信心もですね、ただ一生懸命に神様を思うとか、ね、親を思うとか、親先生を思うとか、金光大神を思うとかというその、一途な事だけではいけないという事。ね。神様を思う、ただ一途にありがたい金光様の信心をしておればありがたいという事の一途なものがその段々出てきますけれども、それだけではいけない。ね。それと同時に日々の改まりが第一という事になるのです。
ね。日々の改まりが出来てそして、その一途な思いというものがいわば、忠義な心一途にということになってこなければ本当のおかげになってこない。これも、そのお芝居の一番最後の幕でしたが、(花房終着侍史?)というこれは説教ものですね石橋もの、説教と石橋と、(所作?)ものです。始めは綺麗な女の姿でもあって、最後には獅子の姿で舞うといういわゆる大変素晴らしいお芝居なんです。昨日、古賀先生が親子でやって参ります。てまあ、色々信心話しさせて頂いておる時に私に申しますところでしたけれども、その例をとって話したのです。(はなぶさしゅうちゃくじし?)というですね。それは、芝居では、(若右衛門?)が演じておりました。(じゃくえもん)が中心になって舞いを舞うわけですが、それに必ず4人の絡みというものがいるわけですね。その獅子に絡む。いわゆるそれを「花4点」申しますね。「花四点」と書いて1,2,3、4の4と。歌舞伎語では花4点という。その花4点が絡む。これはには、(じゃくえもん?)の日頃一番気の合うた心の通う弟子達でないと出来ないというお芝居なのです。いわば、投げられたりふんず蹴られたり、それはあの、やりますよね。お芝居でも、もう、その、打たれたり蹴られたり又は、その、ふんずけられたり引っくり返されたりするわけです。ね。ですから(じゃくえもん?)が( ? )から拍手される時には足でふんず蹴られておったりひっくり返ったりしておるわけです。その花4点は。ね。芝居にはそういう演出方があるわけです。ね。
●それを私こうお話しておりましたらですね、その4人のその花4点がこうその、引っくり返った。一人はこうふんずけられてから、その、(じゃくえもん?)がこう気張っておるところですよね。ところがふんずけられておるその花4点がですね、ふんずけられながらきょろきょろあっちは、逃げ出そうと思うてきょろきょろしておるところをご心眼に頂くのですよ。ね。まあ、隙があったら逃げ出そうちいうわけでしょう。ね。ですからもう本当を言うとですね、ここで御神縁を頂いて信心の段々稽古をさせて頂くと言う事は、信者の皆さんはですね、結局私を盛り立ててくださるという事にだけ思いを置いて下さったらいいわけなんです。ね。親先生が大向こうからその、拍手喝采を受けられることのために自分は犠牲になったらいいわけなんです。ね。酷な言い方ですけれども、とりわけなら、ここで修行でもさせてもらうというなら、私の弟子の中でも気分の会うたものでなからなければこの、花4点はつとまらない。それで例えば、古賀先生が椛目からこの2年ですね、丸二年間修行させて頂いた。勿論、親教会から、はよ帰ってこい、もう帰ってこいといったようなその、それがあったものですから、まあ、もう、大体椛目の信心は分かったと。だから隙があったなら、もう、ここを出らなければならんといったようなものじゃなかっただろうかと思うのです。ですから古賀先生、いうなら、そん時は私にふんずけられたり、私の犠牲になっておったんですけれども、そういう時にきょろきょろせずにですね、そこの花4点の役というものをやりこなすためにはまあ一年間私がおきたかったんですよね。あの時には。けれどももう、親子共早く飯塚に帰りたいという一心のほうが強かったわけです。それで私その事を古賀先生に話すわけですよね。ですからね、まあ、ここでは私がならその若右衛門演ずるところの、獅子の(せい)を舞っておるのですから、それを引き立てるためにしておりますけれども、そのそういうその、引き立て役をしながらね、師匠のやっておるその舞のいわゆる所作というものをあれは見て体得するのです。お芝居あの、役者の弟子というのは手を取って教えるのじゃないです。だからその師匠がする舞台をその、幕の袖からね、幕の張ってある向こうからじっとそれを見て体得するのです。一々こうせんならんああせんならんというて。( ? )踊りを教えるような風なそんなことをせんのですよ。そして体得していかなければならん。投げられながら踏んづけられながら、師匠がこういう時にどういう手を使うか、どういう風に決まっていくかという事を、見て、自分の今度は、自分自身が中心になって、舞うときに、の為にそれを体得していかなければならんという事をお話した。
それからもう丁度四時のご祈念になりましたからここへ出て参りました。出て参りましたら末永さんがその、「実は壱岐の方から手紙が参っとります」というて、手紙が持ってみえられた。お父さんから来てるのです。読ませて頂いたら、あ、もうそれは親としての権威を持って書いておられます。ね。「今度の御本部参拝に家が留守になるから留守番に帰ってこい」と。「また、言うてあげたい事、話しをしたい事も沢山つかえとるから是非帰って来い」と言うて、その、旅費をいれてきて送ってきておるわけなんです。もうそれがとても私それを読みおってから、もうそれだけの事ですから、「あんた方お父さんはどうしてこう字が上手だろうかと、それにあんたどん兄弟は本当に字が下手ですね」ち言うてからもうその事を私は一番始めに言うた位でしたが、もちろん当然帰るべきだと私は思いましたからね、もうそれはそのまま、そういう風に読ませてもろうてから言ったくらいでした。ところが、それを読み終わりましたら、「この手紙も一つ呼んでください」というてそれに対する返事を書いておる手紙をまた出します。もう当然帰って留守番をさせて頂くものだと私は思うておったもんですから、ところがもう沢山丁度便箋八枚にぎっしりその自分の信心、自分の思いを書いておるわけでございます。ね。もう本当に私はこれだけの思いなら私が何と言おうかと。それはお父さんから悪う思われるかもしれんけれども、というのは、帰られないというてきとるのです。
「お父さん私が、合楽で修行をさせて頂くようになって、丸二年になります」。と、ね。「世俗の言うように石の上に三年ということわざがございますようにお父さんここんところはもう、しばらく辛抱させてくれ」と、「もうお父さんのあの手紙を見た時にあの、旅費が出て来たときにもうその場でその時飛んで帰りたい気が致しました。私にとって壱岐というところ、壱岐の人ですから、壱岐というところはもう一番大好きな土地である。勿論ふるさと故郷を嫌うものはありますまいけれども、ですから、お父さんの手紙を見たとたんに飛んで帰りたい思いでいっぱいですけれどもです、よく考えますとこうこうだ」と言うことを便箋八枚にびっしり書いております。もう本当に途中で私何回も感動致しました。中に「お父さん本当の親孝行をさせてください」と書いてある。「私が勤めにでております時にまとまって何万というような送っておった時代もございました。また、新しい電気製品が出来ると不自由であろうと言うて送ったこともございました。成る程ご両親にも喜んでもらったけれどもそれはつかの間のお父さんの喜びだったでしょうが」というとります。ね。ですから「私本当の親孝行がしたい、もう実をいうとお父さん最近私がね、その、信心というものがですどういうものかという事が段々分ってまいりました。普通は信心が大事とか、信心が命とか言いますけれども、現在の私にはもう信心とは私の生命以上のものになっとりますと。どうぞここんところをもう聞き分けて下さい」と言うて書いておる。ね
だから本当いやそんなわけで、その、帰るわけには参りませんから、ね、もう、くれぐれもその悪う思うわんでくれ、私が本当の親孝行をしたい。その親孝行の日が来ることを自分は確信しておる。出来ることを。というようなことで結んである手紙を見せて頂いてね、そうしましたらそれを読ませて頂いておりましたら、また古賀先生にお話をした時と同じ(花四点のはなぶさしゅうちゃくえき?)の場面を頂くのですよね。いうなら、そんなら見事にいうならば花御殿が現在勤まっておるのですよ。いわゆる踏んづけられておっても投げられておっても、きょろきょろしていないわけなんです。いわば。いわばんなら、ここでもう本当に親先生のためなら、親先生を思う思いというものはもう、実に一途。いわゆる忠義一途の思いがあるのです。けれどもですよ、ね、けれども、(かくがわほんぞう?)ではないけれども、それだけではおかげにはならんて。
末永さんが例えばどれだけ私のことをもう信心を自分が身に付けようとその、思うておってもです、信心は自分のいわば命以上だというほどに分っておってもです、ね、信心は日々の改まりが第一じゃというところに焦点をおいてのそれではなかったら、これがね、( ? )のような結果になる。ね。私も涙を飲んであの人を出さなければならない事になってくる。自分もそれでは自分の信心の収拾をうたなければならないような結果になってくる。そういう意味合いにおいてです、この三十五節に「信心は日々の改まりが第一じゃ」という事。その第一じゃというところに焦点を置いてそこに一心をおいて、ね、そういう信心を身につけたいとこういう事はいわゆるおかげを受けたいと言うことに一心ならです第一であるところの改まるという事にも第一の信心をしなければならんと、そこに、ね、日々が夜が明けたら元日と思わせて頂けれるような、日が暮れたら大晦日と思わせて頂くような、心が自ずとこれに出来てくる。ね。そういう信心が身についてきて、私の信心を踏まれたり蹴られたりまたは投げられたりしておるうちにです、親先生の信心はこういうときにはこういう風に決まられるといったようなものをです、見てとって、いわば自分の信心にしていかなければならない。はあ、変わりも変わったものである。ね。建郎が合楽に三年修行させて頂いて折るうちにこんなにも信心が詳しくなったという事じゃない。合楽で私だけでなからなければ出来ない勤められない御用をさせて頂いてきた、させていただいて現在もおるわけですけれども、だけではいけない。親先生の言われることはもう神様のいわれるようなことだと一途にそれが思われるだけではいけない。信心はそれ前に日々の改まりが第一というところに一心をおかなければならんという事。ね、これは私と皆さんの場合においても同じ事が言える。ね。
もう本当に親先生親先生、親先生のご健康の為にというて毎日毎日お届けをして、お届けをなさっておられる方達が沢山ある。ね。いわば、忠義一途の信心がそれで出来ておる。成る程おかげは受けていってもです、元日の心では暮らせないでしょうが。大晦日の思いでは出来ていないでしょうが。ね。いわゆるラストシーンがなっとらんでしょうが。ね。なぜ出来ておらんかというとです、日々の改まりが第一というところに私焦点を置いておかんからだと思うのです。ね。信心の教えによって教えを頂いて、ね、本日も改まらせて頂くという事。ね。自分で出来ない大きな自分のこれはガンとも思われるようなものを銘々が知って、段々分ってくる。それに取り組んでです、本気で改まるという事に焦点を置く。ね。原さんじゃないですけれども、目が見えておるということだけに今日は焦点を置いてです、見えてくる見えてくる、全てが見えるほどしのこのおかげを頂いておるということにです、ありがたいものを感じたという小さいそこに焦点を置かせて頂く信心の稽古と同時にです、とにかく改まるという事に本気でこれは信心の第一になると仰っておられる。その、改まるという事が第一になって参りますと、心が嬉しくなってくるですここに書いてあるように。日々が元日のような心になれる。信心、ここだけは締めくくっておらなければならない事、その、締めくくりのところまではです、ね、いわゆる、その幕が降りるまで、ね、ラストシーンを大事に出来れる。そうしなければおられなくなってくる。ね。その元にならせて頂くのは教えられたからそうするというのじゃなくてです、日々の改まりが第一じゃというその改まるという事に第一に焦点を置いたら、元日の心も大晦日の心も自ずと備わってきて、しかも、そのことが嬉しくなってくる。勿論家内に不和などがあろうはずがないというほどしのおかげになってくる。
ね。もう、これは本当に改まりも出来ませんけれどもね、もうこれだけはもう頭からはずれません。ね。改まるという事。これは私のこと。だからここで私のいうならば、みなさんの全部がです、私を盛り上げてくださるためのまあ、花御殿にもあたるのです、いうならば、場合によっては私の犠牲になっておられるような場合も沢山あります。ね。まるっきり親先生を何というですかね、なら私なら私が理想が日本一のありがたい私になりたいというゆうような願いを持っておりますから、私それこそ、日本一にしてくださる事の為に皆さんは一生懸命に私を支えておって下さるのですよ。その犠牲になっておる時にその師匠のその、手振り足振りをよく見ておかなければならないて。そしてそれを体得しなければならない。そして自分が今度は中心になっていわば舞う時にです、必ずそういうおかげが受けられる。必ず自分が主役にならなければならない時があるその時に師匠の信心を見ておった聞いておったということが生きてくるほどしのおかげを頂かなければならない。そこにはやはりなるほど、忠義一途の信心というものが大事でありますけれどもです、その、根本をなすものはやはり信心は日々の改まりが第一なりと仰せられます。第一だと仰っておられます。ね。ここんところをおいて私は元日の心や大晦日の心がよし、恭一に元日の心で本気でいっちょ、みんなに、皆様からおめでとうございますち、言うといったような事をですよ、勤めても、さあそれを勤めておる時だけは出来るかもしれません。今日あげんいいなさったけんで、もう晩は整頓しておいて、明日は元日を迎えて良いごとちゃんとしとこうというところへそれを勤めておる時にはそれが出切るかもしれません。言いたい事もいわんでもうちょっとその、済むかもしれません。けれども丁度言うならはくがはげるようなものですぐ忘れてしまう。ですから根本のところの信心は日々の改まりが第一というところを私共がもう寝ても覚めても改まらせて頂くという事にです、絶対改まらせて頂くチャンスをいつもこう見ておくという、ね、これがもう信心の第一なのですからこの事を本気で思わせて頂いて、ね、同時に今古賀先生に言う、末永さんあなたの例を申しましたようなね、信心になっていくという事。
ね。私は例えいうなら、末永さんの手紙の前文を読ませて頂いてです、本当に感動しないものはないだろうと思うくらいにその内容が一途一生懸命、親に孝行したいという一念。ね。親先生の信心についていこうという信心に一念。ここで私が頂いておる御用というものが、ね、自分でなからなければ出来ないというほどしの御用を頂いておるその事にいわば執念にも似たようなものをかけておりましてです、それだけではいけない。ね。そのまいっちょむこうに日々の改まりが、はあ、もうこの頃末永さんあなたは、かわらしゃったと信者の皆様からでも見てもらえるくらいにですね、かわってそれが出来て初めてね、本当の檜舞台を踏む時にです、また、必ず末永さんの花4点が現れてくるだろうと私は思うのです。また、自分もいよいよ(?)盛り上げてくれれる人達が出来ることを私は確信します。何というても日々の改まりが第一。変わり映えがしない。その事に一生懸命になっていない。信心には詳しくなっていっても。ね。ここも一つおかげを頂きましてね、本気で今日も改まらせてくださいというところへです、願いをかけさせてもらう。そこに一心を、一心を立てればおかげになると仰るが改まるというところに一つ一心を立てさせて頂かなければならんと思いますよね。
どうぞ